| 元日本テレビアナウンサーで、記者としても活躍された藪本雅子さんが本を出されました。『女子アナ失格』というタイトルとはうらはらに、「ハンセン病」の取材活動を綴った、硬派で読み応えのある内容。新たな挑戦を果たした藪本さんに、本書への思いをお聞きしました。 |
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藪本雅子
Masako Yabumoto
http://www.yabumoto.net/
1967年京都生まれ。1991年、早稲田大学教育学部卒業後、日本テレビ入社。「EXテレビ」「スーパージョッキー」「夜も一生けんめい」「きょうの出来事」など多数の番組に出演。入社2年めに永井美奈子さん、米森麻美さん(故人)とともに結成したユニット「DORA」は「アナドル」という言葉が生まれるほどの人気を博した。1998年、報道局へ異動、記者に転向。2000年、厚生省担当となり、ハンセン病取材を本格的に開始。2001年、「きょうの出来事」(日本テレビ系)、「金曜発言中」(NNN24)で、取材の集大成ともいえる「ハンセン病国家賠償訴訟」の特集が放送された。同年末、結婚を機に日本テレビを退社。現在、2児の母でもある。 |
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『女子アナ失格』
藪本雅子/著 新潮社 定価1365円
女優志望だった女の子がアナウンサーとなり、仕事に悩み、苦しむなかで「ハンセン病」と出会って、ついには記者へと転身していく。ひとりの女性の成長物語であり、女子アナという一見華やかな仕事の現実、テレビの裏側を正直に綴った、良質のルポルタージュでもある。メインテーマとなっている「ハンセン病」については、問題の核心がわかりやすく描かれており、どんな専門書を読むよりも、すんなりと頭に入ってくるのではないだろうか。「ハンセン病? 興味ない」なんて言わず、ぜひ手にとってみてほしい。「ハンセン病」のみならず、マスコミや厚生行政のあり方など、多くのことを考えさせられる一冊。マスコミ志望、アナウンサー志望の人にとっても、かならず何か得るところがあるはずだ。 |
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――本を書こうと思われたきっかけは?
日本テレビで報道記者をしていたとき、ハンセン病をテーマに取材をしていました。退職後も、高校の総合学習の時間にハンセン病についてお話をさせていただくなど、これからもこの問題について考えていきたい、取材で知りえたことを自分のなかだけにとどめておくことはできない、という気持ちはずっと持ちつづけていました。結婚して家庭をもち、子供がまだ小さいこともあって、今後なにか活動をしていくとしても、そういう「草の根」的なものになるのかなと考えていたところ、昔の記者仲間から、本を書いてみたら、というお話をいただいたんです。
――『女子アナ失格』という本のタイトルから、もう少し違う内容を想像していました。
10代の頃、芸能プロダクションに所属していたことや、大学生のとき女優に憧れていたこと、「DORA」という3人組のユニットを組んで、多くのバラエティ番組に出演していた女子アナ時代のことなど、自分のことを書いたのは、私がハンセン病問題に出会うまでの経緯を描くことで、物語をたどるように、できるだけ抵抗が少ないかたちで、ハンセン病について知ってもらえればと思ったからなんです。タイトルは、もともとハンセン病に関心のない人にこそ読んでほしいという私の意向をふまえて、編集の方が考えてくれたものです。
――ハンセン病問題に興味を抱かれたのはなぜですか?
「きょうの出来事」でニュースを読んでいたとき、少しずつですが、取材もするようになっていたんですね。デュシャンヌ型筋ジストロフィーの着床前診断(受精卵の遺伝子診断を行ない、遺伝病がある場合、受精卵を廃棄または凍結保存すること)の取材をすすめるなかで、日本にもつい最近まで、優生思想(人間を生命として優れたものにしていこうとする考え方。人間の選別、病者や弱者の否定につながる面があり、その極端な例として、ヒトラーによるユダヤ人虐殺があげられる)に基づいた優生保護法という法律が存在していたことを知り、そのなかにハンセン病についての条項があったんです。調べていくうち、本当はその必要がないのに、数十年にわたって、社会から隔離され、人生の時間を奪われたてきた人たちがいたことにびっくりして……。
――アナウンサーから記者に転身されたのは?
ハンセン病についてきちんと取材したいという思いが高じて、当時の報道局長に異動の希望を伝えました。正直にいうと、その頃、アナウンサーとしての限界を感じて、先の見えない閉塞感にとらわれてもいたんです。スタッフが懸命に取材してきたニュース原稿を本番でトチってしまうこともあり、そういう自分にフラストレーションを感じていました。テレビの世界でこれからどう仕事をしていくのか。おおげさかもしれませんが、どうやって生きていけばいいのかわからなくなって。異動するにあたってはずいぶん悩みましたが、記者としてハンセン病を追いかけることが、仕事をしていくうえで最後のチャンスだと思っていました。
――記者の仕事はいかがでしたか?
報道局の記者時代は、忙しいことがまったく苦になりませんでした。取材の仕方も含め、日々、多くのことを学び、身につけているという実感があったんです。知らないことを知るよろこびがあり、自分が何を知らなかったのかもわかっていく。取材を通して自分も成長できるんですね。
アナウンサーとしては約7年、記者としての活動は約3年でしたが、私のなかでは、濃密な時間を過ごした記者時代の3年間のほうが強烈な印象となって残っているんです。
――本を書くことで、ご自身のなかで何か変化はありましたか?
本を書くまでは、どこかで昔の失敗をひきずっていたし、なぜハンセン病の取材をしたのか、きちんとした答えももっていなかった気がします。カウンセリングで過去のことを話しますよね? 編集の方とメールでやりとりしながら書きすすめていったのですが、そのやりとりが私にとってはある種のカウンセリングになっていたのかもしれません。編集の方からの疑問や問いかけについて考え、これまでの出来事に想いをめぐらせながら文字に置き換えていくことで、自分自身との対話を繰り返していたんですね。ここまで書くのはつらいと思い悩み、泣きながら書いたこともありましたが、活字になったものを読み返してみると、すでに自分のなかできちんと消化できていることに気づいて。ひとつ突き抜けたというか、たまっていたわるいものを全部出し切った感じです(笑)。
――エピローグに「私は、自分のために取材した」と書いておられます。そこまで正直になれるのは、やれるだけのことはやったという自信のあらわれなのかな、という気もしたのですが……?
ハンセン病の取材をしようと決めたとき、これは重要なことだ、私の目線は絶対に間違っていないという、そういう自信だけはありました。私は、これは正しいと思ったことは言いつづけるタイプなんです(笑)。
それが認められた気がしたのが、ハンセン病国家賠償訴訟の「隔離政策によりハンセン病患者の人生の発展可能性が大きく損なわれた」とする原告勝訴の判決であり、国が控訴を断念した瞬間。私の取材活動なんて、何の力にもなっていないかもしれませんが、自分のなかでは、大きな達成感がありました。
――本書への反響は?
「ハンセン病のことが初めてちゃんとわかった」とか、マスコミの方からは、「報道のあり方を考えさせられた」など、恐縮してしまうくらい好意的な感想をいただいています。
いちばんうれしかったのは、元患者の方に、書いてくれてありがとう、何度も何度も読み返しています、と言っていただいたこと。記者としてのこれまでの仕事が報われたというか、本当に書いてよかったと思います。
どんなふうに受けとめてもらえるのか不安だったのですが、みなさんがほめてくださるおかげで、ちょっとだけ自信をもって「読んでください」と言えるようになってきました(笑)。
――今後はどのような活動をしていかれますか?
この2月に下の子が生まれ、当分は家庭第一の生活になりそうですが、つねにひとりの記者として問題意識をもち、ささやかでも、社会的に弱い立場に置かれている人たちの助けになるような仕事をしていければと思っています。ハンセン病の問題に引き続き取り組みながら、新しいテーマにもチャレンジしてみたい。書くことのむずかしさ、おもしろさも知りましたので、いつかまた取材の成果を本にまとめられればいいですね。
――Veeスクールの読者のなかにも、自分の進むべき道に迷っている方がいらっしゃると思います。そういう方になにかアドバイスをいただけますか?
本当にやりたいことを見つけるのはなかなか大変ですよね。仕事をしていくなかでは、納得しがたいこともたくさんあるけれど、自分が大切にしている、その根っこの部分は守りながら、これはと思うことを、信じてやっていくしかないのかなと。私自身、それゆえに転身を重ねてもきましたが、立ち止まらず、とにかく前に進むことだと思います。そのときどきで、自分にとってベストと信じる選択をしていれば、どんな結果が出ても、「なるべくしてなった」と納得できるんじゃないでしょうか。「石橋は叩かず落ちろ!」というのが私のモットー(笑)。何もしないというのがいちばんもったいないことだと思うんです。
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| 取材・文/水尾裕之 |
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