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資格・趣味講座TOP特集・記事一覧インタビュー > 大沢逸美
“頑張り過ぎない介護”。それが介護する側、される側、両方が感謝し合えるスタイル
最愛の母親を介護し、3年前に看取った大沢逸美さん。2003年には、母との暮らしや介護の体験を赤裸々と綴った『お母さん、ごめんね。』を上梓した。女優として活躍中だった逸美さんに、介護生活に至った想いや、介護の現実をお聞きしました。
大沢逸美
おおさわいつみ


1966年北海道生まれ。「ホリプロ・タレントスカウトキャラバン」7代目グランプリを受賞、16歳で「ジェームス・ディーンみたいな女の子」でデビュー。日本レコード大賞新人賞などを受賞、瞬く間にトップアイドルへ。その後、歌手、ドラマ、バラエティなど、各方面で才能を発揮。25歳で父を亡くした後、2002年に母が亡くなるまで、病弱な母と暮らす。翌年、母を看取った体験を綴った『お母さん、ごめんね。』(アスキーコミュニケーション)を上梓。
『お母さん、ごめんね。』 『お母さん、ごめんね。』(アスキーコミュニケーション)

女優の仕事をこなしながら、母の介護を続けた大沢逸美。彼女の半生と母の介護、看取るまでの体験を、母が残したメッセージとともに綴った1冊。
大沢逸美
――専門家に任せることもできたと思うのですが、なぜご自身でお母さまの介護をされようと思われたのですか?

大沢逸美専門家に頼むこともできたのでしょうが、自分が母の介護を引き受けようと思ったのは、う〜ん、性格ですね。一緒に暮らしている母親ですから、できることは自分の努力でなんとかしよう、と。一時期介護保険サービスのお世話になりましたが、これは母が「お金がかからないなら受けてみようよ」と考えたから。今まで関わりのなかった方の面倒を見るなら“介護”という言葉は当てはまるかもしれませんが、私は母と暮らしていたので、日常の一部なんです。母は突然体が動かなくなったわけではない。少しずつ少しずつ体を思うように動かせなくなっていったので、“介護”ではなく“介助”、もっといえば“世話”という感覚ですね。

――たいへんだったと思いますが……

いちばん辛かったのは、母の病状が悪化し、母が生きるためにはすべてにおいて私の手が必要となったときですね。

自分の意思では体を動かせない大人、というのは体力的にきつい。母は身長150センチメートル届かないほど小柄で、私の頭ひとつ小さいぐらい。それでもこんな小さな体が、こんなに重いの!?と思わせるほど重い。本人が動かせなくてもなんとか動かしたいと願う思いと、手伝う側の力が一致しないとムダな力が加わってしまう。プロのヘルパーさんはコツを知っていますから、母と同じぐらい小柄な方でもひょいっと動かせる。でも、私は最後までコツがつかめないままでした。当然ながら、下の世話もあります。ニオイにも量にもうんざりしてしまうことがありましたね。

母はさまざまな病気を持っていて、どこもかしこも痛い状態でしたから、最後のほうは何かあると呼ばれて、気が休まらないというか、自分の時間がまったく持てなくなりました。

――逸美さんの体力もよく続きましたね

自分が倒れたら共倒れ、誰もみてくれない。この思いだけが、私を体力的にも精神的にも支えてくれました。当時は化粧もしませんでしたよ(笑)。風邪をひいたら、自分にとってもマイナスですが、何より母にうつしてしまう危険性がある。母が自分の力では一歩も動けなくなる最後の2年間は非常に神経質になり、外から帰ったらすぐに手を消毒。キッチンにはよく飲食店などのレストルームで見かける消毒液を置くようにしました。

――仕事はどうされていたのですか?

当時は泊りがけの仕事を入れないようにしていました。なるべく自宅のある東京での仕事を選んでいましたね。16歳で上京してアイドルとしてデビュー。その後、女優としてドラマなどで評価を得て、写真集を出す、リサイタルを行うなど、年齢的にもいちばんあぶらののったというか、仕事も選べる時期でしたが、私は母を選びました。

――可能性が広がる仕事を前に、たいへんな覚悟だと思いますが……

私の子供の頃の夢は、小さくてもいいから父と母と一緒に住める一軒家を持つ、だったんです。その夢を叶えようと故郷の北海道に家を買ったんですが、その後すぐに父が亡くなりました。その後、母を東京に呼び寄せて、一軒家を購入して一緒に暮らし始めたんです。せっかく夢をかなえたのに、当時は仕事や恋愛で家に帰らないことが多かったり、母をほおっておくことが続きました。心のどこかで、家を買ったんだから、という気持ちもあったのかもしれません。気付いたら母の体はぼろぼろになっていた。今は母の面倒を看る時期だ、と思えました。

――金銭面もたいへんですよね?

芸能界って、厳しいですよ(笑)。テレビなどに出ていないと「どうしたの? 結婚して辞めたんだっけ?」なんて言われてしまう。でも、私にとって今大事なのは、重要なのは母だった。だから、何を言われても平気になれました。強くなれましたよ(笑)。ただ、生活のために仕事はしなくてはならない。地方ロケはできないから、受ける仕事の種類や量は限られてきます。母の病気に関しては当時のマネージャーにのみ相談していたのですが、こんな状況でも文句を言わず仕事のやりくりをしてくれて、マネージャー含め事務所には本当に感謝しています。

――今はお母さまと暮らした家はどうされたのですか?

母が亡くなって3年が経ちます。今でも私は母の思い出が詰まった、一緒に暮らした家に住んでいます。一軒家に1人暮らしですから、使い勝手はあまりよくないんですよ。でも、思い出が詰まっている。母が庭に埋めた果物の種が芽を出して、母と暮らしているころから実をつけるようになっていました。今年も青い柿の実がついています。思い出というより、庭には母がいるんです。庭だけじゃない。家にいると、ふと顔を上げると母が傍にいるような、玄関先から入ってきそうな気配を感じることが多々あります。母がいるから、当分引っ越しはできませんね。

――介護が必要な家族をお持ちの方にアドバイスをいただけますか?

今日本は老人介護や高齢化社会に対して、さまざまな問題を抱えています。私と母は“介護”という言葉が使われる最初の頃にそのシステムを利用したので、国も利用者も勝手がわからないままでした。先日某新聞で、同じく母の介護をされている方のエピソードを読みました。その方は最初のヘルパーさんに何をお願いしていいのかわからない状況の中、それでも仕事を依頼しなくてはならない。ある日ヘルパーさんに「私は家政婦じゃないのよ」と嫌味を言われたそうです。このヘルパーさんとはあわない。私と同じ状況です。そして私はこの時点で諦めてしまった。でも、その方は2人、3人とヘルパーさんを代えた結果、今非常に心を許しあえるヘルパーさんに巡りあえたそうです。ヘルパーさんも人間、介護される側も人間、あわないことがあるのは当たり前、諦めないことが重要ですね。私は1人目のヘルパーさんで、挫折しちゃった(笑)。

――介護に関する仕事を目指している、あるいは目指したが悩んでいるというVeeスクールのユーザーにアドバイスをいただけますか?

ヘルパーさんにしても、看護師さんにしても、毎日患者さんを扱っているわけですから、感情移入していられない。あるときは患者さんをモノのように扱うことがある。でも、家族はそれは見たくない。荷物じゃないんだから、と何度キレかけたことか(笑)。

『お母さん、ごめんね。』(アスキーコミュニケーションズ)を書いてから、全国から励ましのお手紙などをいただきました。その中には「介護の専門家になりたいと勉強して資格を取った。けれど、理想と現実は違った。どうしたらいいですか?」と相談の声もたくさんありました。専門家に感情移入しろとはいわない。でも、扱っているのは人間、ちゃんと心の通った人間なんです。特に老人の場合はそれまで生きてきた年月や経験がありますから、プライドだってちゃんと持っている。私たちと同じ人間です。患者さんは上手に感情表現ができないだけで、必ず感謝はしていますよ。何かの拍子で「ありがとう」と言葉をかけてくれるかもしれない。その声を聞けたら、こんなにやりがいのある仕事はないと思います。

それと同時に、非常にたいへんな仕事です。そんな素晴らしい仕事を目指したのだから、一度や二度の挫折であきらめないでほしい。表に出ることはほんの一部、もっと苦しんでいる方が、世の中にはたくさんいるはず。

介護に従事される方は“頑張り過ぎない介護”を心掛けてください。頑張るのは当たり前、でも頑張りすぎる必要はない。頑張りすぎると介護されている側に、頑張りすぎたゆえに辛さが伝わってしまいます。日本の介護のシステムはどんどん進化しています。介護に携わる方も、介護を利用される方も、いいシステムをどんどん取り入れて、“頑張り過ぎない介護”を目指してください。
撮影/中川洋 取材・文/山口未来
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