| ドラマの影響で、寄席にも若者の姿がちらほら見かけられる昨今。今回は、相撲界から落語界へと異色の転身をされた、三遊亭歌武蔵師匠が登場。修行時代や現在活動されているボランティアのお話をお聞きしました。 |
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三遊亭歌武蔵
さんゆうていうたむさし
岐阜県出身。中学卒業後、元横綱三重ノ海、武蔵川部屋へ入門。廃業後、兼ねてからの夢だった噺家となるべく、三遊亭圓歌師匠の門を叩く。1984年「歌ちどき」として前座に、二つ目昇進後、「歌武蔵」と改名。1998年真打昇進。相撲界をネタにしたオリジナルの持ちネタ「支度部屋外伝」は、江戸時代から続く落語の世界でも類を見ないネタとして高い評価を得ている。寄席や演芸場での高座のほか、自衛隊、刑務所、老人ホーム等への慰問活動を行っている。 |
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――相撲界から落語界とは、珍しい転身ですが……
子供の頃、憧れた職業の第一は海上自衛官、第二に噺家だったんです。父親が元力士なんですよ。怪我で廃業し、現在岐阜ですし屋を営んでいます。親の体が大きいせいか、ボクも小さい頃から体格に恵まれて、小学校2年から柔道を始めました。中学時には県下では金メダル以外、見たことがない、という素晴らしい成績を収めていたんですよ。そういった成績や親のこともあり、中学3年の三学期に武蔵川親方がスカウトにきました。父親は、自分の成しえなかった夢を息子に託したんでしょうが、ボクとしてはもっと軽い感覚で受けました。親孝行のひとつ、だめなら帰ってくればいいやって。大阪の三月場所が始まる前で、股割りや四股も十分に修得できていないのに、前相撲を取らされました。
――相撲の世界はいかがでした?
だめでしたね〜。柔道と相撲は似て非なるもので、柔道は引き、相撲は押しの格闘技なんですよ。また、柔道はライン近くになり場外に出そうになると一旦試合を止めて選手を中央に戻して試合を再開します。相撲はそれがない。“はっけよい、のこった!”と始まったら、まったはなし。ライン=土俵の外に出すことが目的ですから。柔道のクセが抜けず、なかなか相撲のルールに慣れず、「オレには向かない!」と1年足らずで部屋を“脱走”しました。人様を公衆の面前で投げつけてお金をもらう。とてもとても、マリア様の教えに反します、私にはできませんってな感じで(笑)。
――その足で落語の世界へ?
やっぱり噺家、落語家になりたい。“脱走”した足で東京に向かって三遊亭圓歌師匠に弟子入りさせてください!とお願いしました。岐阜で暮らしていた頃、高座を耳にするのはテレビとラジオしかない。当時、今でも活躍されている噺家の方々がテレビやラジオで高座を始めると、“どっ”と笑いが起こる。圓歌師匠の出番になると、“どっ”じゃない、そんなもの比じゃない、“どっか〜ん! どっか〜ん!”、テレビやラジオのスピーカーが壊れたかと思うぐらい、笑いが湧くんですよ。この師匠しかいない! でも師匠は、14歳はだめ、相撲界から逃げたままじゃだめ、親の了解を取りなさい、と。親は猛反対で「相撲界に戻るならまだしも、噺家なんて籍を抜くぞ!」とカンカンに怒ってまして。ボクの中では噺家の道以外ありませんでしたから、相撲部屋には「お世話になりました」と手紙を書いて、親を振り切って上京しました。
――圓歌師匠の許へ?
すぐに弟子入りしたわけではないんですよ。一度断られてますからね。江戸川の居酒屋に板前修業のフリをして住み込みで働かせていただいて、少ない給金から貯めたお金で寄席や演芸場に通いました。多くの先輩方の高座を拝見させていただき、やっぱり圓歌師匠だ、と。1年後、再度お願いして、15歳で晴れて弟子入りを許可されました。それから4年10ヵ月、師匠の自宅に住み込みで修行させていただきました。家の掃除、弟子同士の賄いの仕度といった日常の細かい作業のほか、師匠の着物のたたみ方、畳のヘリを踏んではいけないなどの礼儀作法など、みっちり仕込まれました。
――噺の稽古というのはどんなものですか?
師匠から直接噺の稽古をつけてもらったことはありません。圓歌師匠の下では、噺はすべて兄弟子から習います。たまに就寝前に師匠の肩をもんでいる間に噺をチェックしてもらいました。熟語が多い、もっと聞きやすく話せなどなど。江戸落語の世界では、見習い、前座、二つ目、真打と段階を踏みます。見習い時代、高座に出られる師匠たちの着物をたたんだり、座布団を用意したり、開場と同時に太鼓(一番太鼓)を叩いたり、細々とした仕事をこなしてお給金は1日500円。要するに電車賃。初めての高座は新宿の末広亭でした。気持ちよかった〜(笑)。でもね、大迷惑をかけちゃいました。持ち時間12分なのに、真打並みに21分も話しちゃった(笑)。だって、どこをはしょっていいか、わからないんだもの。習った通りに話したの。
――真打昇進はいつ頃ですか?
30歳で真打昇進ができました。落語の世界へ入って、落語家としての技術も磨くことが出来ましたが、“江戸っ子の粋”というものも勉強できました。決して有名ではないのだけれど、噺を聞くとものすごくおもしろいという先輩方がいらっしゃる。でも、テレビなどのメディアには出ない。有名になれば金儲けはラクです。そうじゃない、金じゃないんだ、落語だけで食べていく、という心意気、“粋”ですね。そういったものも勉強させていただきました。
――今後の活動を教えてください。
数年前から、自衛隊や老人ホーム、少年院などで落語の慰問を行っています。もちろん報酬はなし、手弁当ですよ。海上自衛隊出身の先輩方が自衛隊へ慰問されていて、それに参加したのがきっかけです。少年院で高座をすると、本当によく笑ってくれる。そんなに感性豊かなのに、なんでここにいるんだよ!なんて思ってしまう。ナーバスになってしまう。その反面、短い時間ながらも“笑い”という心を和ませる時間を与えられたという、無償の満足感、無報酬の喜びを逆に与えてくれる。非常にやりがいのある活動です。今後も、技術を磨き、それで得たお金で慰問活動を心ゆくまで行えるように、修練していきたいですね。
真打はゴールではない。落語家として、もっともっと技を磨かなくてはならないと思いますし、ボクも落語だけ食べていける“粋”な噺家になりたい。もうなっているって? ボクの“食べられるようになる”というのは、「今日お仕事で初めてお会いしましたよね? この後、何かありますか? ないんなら銀座でメシでも食べましょう。……このすし屋にしましょうか? いや初めての店ですが、何でも遠慮せずに食べてください。……(支払いを自分で済ませて)そろそろ帰りますか」ということが普通にできるようになること。それにはまだまだ、修行が足りません。
――自分の夢に向かうVeeスクールのユーザーにアドバイスをいただけますか?
夢を叶えるって難しいよね。う〜ん、すごく難しい。ボクは中学のときにこうしてこうしたから今に至る、な〜んて力説したって意味はない。でもやりたいことなら、辛い経験も苦労にならない。本当にやりたいこと、好きなことなら、辛くないんですよ。望んで入った世界なら、多少の貧乏も苦ではないはず。さらに努力してがんばった結果、報酬が付いてきたら最高でしょ? ボクだって、たくさんの挫折を繰り返してきましたよ。暗くした部屋で一人、中島みゆきの歌を流して、落ち込んだりしましたよ(笑)。でもね、好きなことなら耐えられる。これだ!と思えたものに出会えたら、がんばってください。ボクも、早く銀座で大盤振る舞いできるように修練しますよ(笑)
――ありがとうございました。ボランティア活動、銀座での大盤振る舞いが思う存分可能になることを楽しみにしています。 |
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